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2010/12/01 第36回  日本の歴史認識 危うし!


日本の歴史に纏わる認識が何故?何時から歪曲されるようになったのか。
戦後の占領期GHQ(General Headquarters)は、占領政策を日本政府を通して施行した。間接統治である。米国主体の政策は、日本国が再び覇権国家になる力を秘めているだけに、その芽を摘んで欧米列強に抗する精神の弱体化を計る事を最大の目的としたのである。敗戦後、日本の政治家は、国に対する衿持を秘め破壊された国土や疲弊した国民生活の再生に全力を傾け、務めたのである。GHQとの交渉事は日常的に行われ、不平等故に怯えることなく真剣に臨んだのである。誰彼がどう臨んだか、それらは色々な文献に遺されているので、ここでは取り挙げない。
ここでは、現在の歴史歪曲の因を何処に求めたら良いかのを探ってみる。

現在の日本人のアイデンティティは掴み所のないものであり、その為に日本社会が八岐大蛇の如く各人が勝手に動き本体を不安定にする危険な状態にある事を認めなくてはなりません。似非民主主義社会での根っこは社会主義国家的な極めて不安定な国家となっていることにある。
日本国が、大東亜戦争(1937.7~1945.9.2)の八年間を示して、何故戦争に突入し、何故敗れたのかを当時の世界情勢に影響力を持ち行使した諸外国との関係を視つめ、この時代の日本社会、政治情勢を確っかり認識し、心に刻んでおかねばならない。
そして、平和の尊さを求め、不戦を心から望むなら、憲法上の文言や軽い政治家の発言の中に核心なく、この戦争を通して何を日本人は視て、多くの日本人を苦しめた真の狙いは何であったかを探り、認識を新にして、精神的再生をしなければならない。

その切っ掛けを与えてくれたのは、民主党左翼政権の存在である。
民主党に政権交代して1年余、この政権では日本の再生はできないと多くの国民は感じているはず。左翼思想に根ざした集団が政権を担う危うさが随処に見られる。閣僚の発言、行動に顕著に露れている。
11月22日に辞任を限々まで引き延ばしていた柳田法務大臣の政治家の資格すらない幼稚な、そして国民を愚弄した発言は批判の対象にもならない。
しかし、日本国民として絶対許容できない発言は、仙石由人官房長官の「暴力装置である自衛隊・・・」発言である。
これは『防衛省関連施設などの行事で、来賓など民間人による政権批判はそれを許さず』北沢防衛相は、自らの言葉でなく、事務次官に通達を出させた。これは思想信条、表現の自由を政府の判断で規制できるのか、等々の意見が政府に突きつけられたのである。これに対して、仙石官房長官は『暴力組織でもある自衛隊はある種の軍事組織でもあるから、シビリアンコントロール(文民統制)も利かないとならない』『自衛隊は政治的な中立が確保されなければならない』と発言、糾弾され、自衛隊員に対して政治的用語を使ってしまったと謝罪した。
この認識こそが日本政治を担う民主党左翼政権の危うさ!である。又、戦後疲弊し、壊れ行く日本の原点である。
軍隊が「暴力装置」という論理はマルキスト(共産主義者)の言い分である。
彼の歩んで来た足跡に明確に遺されていて似非民主主義者である。又、自称改革派政治家、進歩的文化人、・・・学者の本質もここに在る。過去、共産主義者が冒頭示した大東亜戦争期に何を謀って日本国を敗戦に追い込んだのか。それらを隠蔽する為に、日本国は軍国主義に陥って侵略戦争を起こし、近隣諸国に多大な被害と犠牲を強いた。深く反省し、二度とこの様なことは致しません。謝罪します。又、自衛隊は暴力装置だから、過去のように暴走させない為に文民統制を強固にし、時には言論の自由も規制します。こうなんです。自民党政権末期(民主党の体質と同じ)田母神前航空幕僚長が「日本は侵略国家だったのか」をテーマとする論文を発表、この時、即解任させられたケースにも通じる論理である。
戦後の歴史認識は共産主義者からの史観であり、日本の歴史が教育で固定化され、時と共に普遍化されて来たのである。これが中国、韓国の歴史教育認識と何処が違うのか?同根なのである。
自民党政権時にもリベラル派政治家によって日本を歪め貶めて来たが、民主党政権には共産主義者やその思想に歌舞れた人物多く、それが権力を握った状態が今日の政権の実態である。

暴力装置と断言された自衛隊(謝罪は通用しない事を恥れ)は、ソマリア沖で頻繁に発生する海賊行為から日本船をはじめとする航行する船舶を護衛する責務を担い、又、2010,1にハイチで発生した大地震の復興に派遣されている自衛隊員の劣悪な環境下での支援活動は並の精神力では遂行できない。現在130万人がテント暮し、コレラは流行り危機的状態である。(街に溢れる内向き若者には出来ないであろう。)彼等が何の為に職務遂行しているのか。発言者をはじめとする政治家の皆さん考えたことありますか。又、離島が多く点在する鹿児島、沖縄地方では、緊急医療の必要な患者の輸送を担っているのも自衛隊員である。本来の職務は別の組織であるべきであるが、何でも困っていれば解決を放棄して自衛隊に押し付ける。これ、過去の誤った認識からくる自衛隊軽視の国の姿である。

民主党左翼政権の潜在的思想は共産主義的社会主義である。
1917.10ロシアで起きた共産主義革命は、その後世界に大きな影響を与えたが、日本とて蚊帳の外ではなかったのである。
共産主義革命は暴力革命から1927年に対外戦略を見直し謀報活動と宣伝を主体とする戦略に変えたのである。そして欧米をはじめ支那大陸、日本にも息のかかったエージェントが潜行しネットワーク化し表面では時の権力と結び、共産主義勢力(共産主義国の樹立)の拡大を企てるため歴史を創って来たのである。
米国ではニューディール政策の第32代大統領F・D・ローズベルト(1933.3~1945.4.12)(エリノア夫人と共に共産主義者)の周辺にもソ連のエージェント、米国共産党員が多勢いたのである。特に財務省関係に多く日本に係ったのは、日本に最後通牒を突きつけたハル・ノートの原案作成者ハリー・デクスター・ホワイトは財務省次官補であった。他にハル・ノートに係った人物はH・モーゲンソー、L・カリー、O・ラティモアである。蒋介石の周辺にも共産主義者が大勢いたのである。O・ラティモアは顧問として影響力を行使した。ヤルタ秘密協定にローズベルトの側近として参加した、H・ポプキンス、A・ヒス等は(ハル・ノートグループともつながる)日本と中華民国の主権をソ連スターリンの要求のままに決定させたのである。(北方領土強奪もここで決った)

日本では昭和の大戦を太平洋戦争と呼称する事をGHQより命令されたが、1939.7.7盧溝橋で起きた些細な日・支軍の衝突から1945.9.2降伏文書署名までを大東亜戦争と位置付けている。盧溝橋事件では双方に負傷者すらなく、現地では直ぐに休戦協定が結ばれたのである。これで終息しなかった所に日本の悲劇が始まったのである。
当時の総理大臣は近衛文麿(軍人ではない)で総理大臣就任期間は1937・6.4~1939.1.5、1940.7.12~1941.7.18、1941.7.18~10.18盧溝橋事件前から、日本軍が真珠湾攻撃した1941.12.8迄の1595日のうち1035日(実に64.3%)近衛文麿は総理大臣として権勢を握っていたのである。1936年2月26日には2.26事件が起きています。この背景にもマルクス主義者達が係っていたのです。盧溝橋事件が終息した後も蒋介石国民党軍は側近のマルキストにより、戦線拡大を画策、近衛文麿総理は支那への派兵を増やし、戦費を増やし日支戦線拡大を進めたのである。
近衛文麿の側近ブレーンはマルキスト(共産主義者)が集っていた。
朝飯会には風見章、佐々弘雄、笠信太郎、蠟山政道、牛場友彦、尾崎秀實は(ソ連のスパイ、ゾルゲに絡んだマルキスト)吉野作造が作った東大新人会に属し、共産主義に傾斜して行く。この東大新人会には日本共産党活動家も多く、キャンパス全体が傾斜、彼等は昭和10年代、政治、経済のシステムの範をソ連に倣い、統制経済を推進した革新官僚となって行った。又、統制派将校とも結びついて行くのである。尾崎秀實の行動は多くの資料が残されている(供述は膨大)ので省くが、支那の共産化が狙い。日支戦線の拡大は日本軍優勢となり日本軍のソ連侵攻にも繋がる恐れを懸念して、日本軍の南進を謀るのである。これが日・英米戦争へ発展させ、ソ連への侵攻を禦ぐ(ふせ)ことになるのである。大金星を挙げた尾崎は1944.11.7レーニンのロシア革命記念日に絞首刑となるのである。又、近衛の昭和研究会にも尾崎秀實が参加していた。他に主な参加者は、後藤隆之介、暉峻義等、東畑精一、矢部貞治、稲葉秀三、勝間田清一、正木千冬、和田耕作、三木清等がいた。(経歴は省く)
ここで近衛文麿総理大臣就任期間に何を為したかのか日本の歴史的事実と照らしてみて下さい。
1937.7  盧溝橋事件終息後、北支へ4個師団派兵 戦費増額 日支戦争開始
1938.1 蒋介石を相手にせず、大陸に交渉相手を無くす。 日支戦争長期化
1938.11  東亜新秩序声明を出す。 日支戦争永久化
1940.8 大東亜共栄圏発表 対英米戦の準備宣言
1941.4 日ソ中立条約 対英米戦背後の安全確保、対英米戦辞さず
1941.7.2 御前会議 ソ連に侵攻せず
1941.7.28 南部仏印進駐 対英米戦の実質的な開戦
1941.9.6 御前会議 対英米戦決定する。
これで共産主義者近衛文麿は役割完遂し、後を真面目な左翼軍人東条英機に託したのである。

結果は歴史が示す通りだが終戦時には既に、米ソ冷戦構造が芽を出していたのである。
戦争責任を全んど東条英機等軍人に被せ、日米開戦の時、野に居た近衛文麿は一時戦犯を免れ、マッカーサー元帥に日本国憲法制定の命を下され、その腹づもりでいたのである。しかし、1945.12月急に戦犯容疑者として逮捕状が出され、出頭日の12月16日自殺。これで近衛文麿の真の姿は闇に葬られ、東条英機等陸軍中心の戦犯にすべての責任を負わせたのである。広田弘毅は近衛文麿の代わりに刑死したのである。
この近衛文麿の戦犯容疑に画策したのは元内大臣木戸幸一(近衛の親友でもある革新華族)で親族でもある都留重人(マルキスト)の友人でハーバード・ノーマン(共産党員GHQ調査分析課長)を通して画策したのである。
近衛文麿が戦後罪も問われず生き残ったら、米ソ冷戦時代を考えたら誰が困るのか。日支戦争を欲したその理由の核心が追及され、これが糸口となって、支那事変に火をつけ拡大した真の目的がすべて明らかになるから同根であった木戸幸一が売ったのである。自殺することを予見して。
戦後の日本の多くの赤い学者やジャーナリストたちは、この明白な歴史の事実を隠そうとして来た。「日支戦争の最大の責任者は近衛文麿であるならば、何故に近衛文麿がそうしたか」つまり戦後の日本には日支戦争の真相が解明されることを恐れた一大勢力が存在していた。今も根強く論壇やマスメディア界を支配している。又、政治の世界でもその影響を受けぬ筈がないのである。赤い政治家として。

米国にとって太平洋戦争のすべては、ひとえにソ連に奉仕する為のもので日米が何故激しい戦をしなければならなかったのか、意味のない戦争であったのである。昭和の第二次世界大戦を通じ、一番の利得者はスターリンのソ連共産主義国である。戦後のアジア・太平洋地域の地図はソ連のみが勢力圏をのばす草刈場であったし、東欧における勢力拡大も結果が示す。
又、支那の共産化は毛沢東によって為され、毛沢東は旧日本軍人が北京を訪れ会見した折、「中共は日本のお陰で建国した」と語った。背景を毛沢東様はご存知だったのだ!

ご本尊ソ連が崩壊しても尚DNAは保存され、アジア諸国には共産主義国が容を替えて生き続けている。恐ろしい!
米国は日本と無駄な戦争をしてしまった上、原爆投下という大罪を犯してしまった。これを謝罪することはないが罪悪感に苛まれている。しかし、行為を正当化する為のプロパガンダは真剣である。
マンハッタン計画の展開と日本の都市の破壊を示した映画を作成していた。アメリカの残虐行為について500年後の人々を欺くためにこの映画は鉛で封印され、2500年後に開封せよとの命令とともに缶詰にしてどこかに埋められている。その映画のタイトルは"The Beginning or the End"又、英国のチャーチルは原爆投下はソ連に対する牽制の意味が大きい。第三次世界大戦(冷戦)の始まりはソ連の日本占領と日本に対するソ連の影響力の伸展を防止するために必要であったと強調。

如何、当時の世界の首脳がソ連の共産革命の実体を認識していたのか。現代日本人はその怖さを全く認識せずに時代と共に薄まったとは申せ、未だ影響力を行使する勢力、人物が居る事に気付かずにいる。慣れてはならない!

戦争を戦ったのは軍人(国民)であるが、戦争を起こしたのは誰、拡大させたのは誰、権力を握った文民のマルキストであった事実を認識せず、いまの稚拙な政治家ではまことの文民統制(シビリアンコントロール)など出来ない!

第二次世界大戦を総括する時、英、米(F・D・ローズベルト)、支那大陸での蒋介石、毛沢東、ソ連(スターリン)、ドイツ(ヒットラー)日本(近衛文麿)など時の権力者は、マルキストであり、また疑いのある人物を周りに登用して世界的なネットワークのなかで、国や国際社会を動かしていたのである。
参考:近衛文麿の戦争責任 中川八洋著、近衛文麿黙して死す 鳥居民著、中西輝政各種論文