弊社スタッフが交替でお届けする、ときに鋭く世相を斬り、ときに緩やかにあなたを癒す珠玉(?)の時事エッセイ。お仕事中の息抜きなどにお読みいただけたら幸いです。

2012/07/02 第55回  日本国の復興!


3.11から早15ヶ月過ぎました。多くの被災者を出した未曾有の東日本大震災は、福島の原子力発電所事故を誘発、放射能汚染による危険増幅は町ぐるみの避難と併せ、この悲劇は大きく深いものとなったのです。未だ避難先の体育館で寝起きする被災者が存在する現実に、駭然とし、これを驚愕と言わず何と表現すれば良い!

被災地の復興は多くの国民が描いていた姿、型で進んではいない。
被災者で元の生活環境を回復し、精神的安定を得て嘗ての安寧秩序に環境を取り戻した人は皆無であろう。
天災と言って終息すべき災害だが、ここ、ここに至っては人災と断言せざるを得ない。

被災地は地政学的位置から、水産業が盛えた地域である。中小の水産業を中心に種々な製造業、他の業種が加わり、水産業サプライチェーンが構築されていたのである。
この水産業の復興なくして地域社会が形成されない事を何故、認識できないのだろう!
何故、分かろうとしないのだろう!
政府は復興の為に国費を充て、復興庁を設け被災地の復興を推進する役を担う筈だが、責務を随行しているとはとうてい考えられない。
復興の為の高いレベルの理念が国に存在しない故に各自治体がバラバラだから、被災者だけが苦しんでいるのが現実ではなかろうか。
(6月29日新聞記事から)
平成23年度予算の復興費14兆9243億円は被災地との調整に手間取り39.4%の5兆8728億円未消化となり繰越しせず、「不用額」として処理するという。
他に特定した事業に充てるべく予算も未消化、これは繰越したり特別会計に繰入れる。

東日本大震災・原発事故からの復興は、正に政治の復興でもあるのである。
然し、今正に民主党政権は野党自由民主党・公明党と「社会保障と税の一体改革」を談合して謳い、消費税増税を6月26日衆院通過させた。増税実施までに時があるとは申せ、この愚行によって、デフレ経済が修復される事なく更に深刻な状態に陥って失われた20年は継続される。
経済は生きものであり、政治とは表裏一体、この現実を創り出して来た政治の世界も又、失われた20年、否もっと長い歳月だったのである。

戦後の政治を振り返えれば、国の変遷でありその時代時代で指導者は決断し、内では権力闘争を繰返しながら国の容を整えて来たのである。
戦後歴代総理の業績がすべて輝いている訳ではなく、失政をも併せ持っていたのである。
しかしそれは既に過去のものとして再評価の対象とし、結果を現在に活かさねば日本国の真の容を創出す事は出来ない。
為に、我々は歴代政権と周りで権力を行使した人物の功罪を総括する事が明日への道標となり得る事を認識しなくてはならない。
この場で多くを語る事は出来ず、事ある時に掘り起し、現実の問題と関連付けて語ることにする。
ここでは現実の政治で失われた20年余の中心人物と考える小沢一郎を取り挙げる。
小沢一郎は1969年衆院選で27歳で初当選以後、与党自由民主党の中核で権力を行使、55年体制を崩壊させた中心人物である。それは自由民主党自身が党内に左派集団を自然に形成しながら、そのイデオロギーをも取り込んで真正保守であるべき党を蝕み崩壊させたのである。
小沢一郎が20年前に政界をひっくり返し、1993年8月9日八党派連合の細川内閣を誕生させた。それにさきがけ5月20日小沢一郎は「日本改造計画」を講談社から上梓します。1500円(現在の同程度の単行本と同額である)
この計画に示した内容は、政に参加するべき人の真当な主張と読める。参考迄にタイトルのみ記す。(※)
著作の上梓は55年体制の崩壊を意図し、その後の国の容を思考していたのであろうか。
それは、小沢一郎の表向きの意思は尽く挫折しながら原理主義的民主主義者としての顔を表出、皇室の解体と国の「日本人民共和国」化を謀ることにあったと考える。左翼勢力を利用して、保守と左翼を同時に葬り、混ぜ合わせ、ポピュリズムを助長させ、日本国を八方塞がり的状態に堕したのである。小沢一郎の本質である。
20年余にわたる「民主・民主」の大合唱と反官僚の流れ、改革、革新、革命、維新という虚言の根本は55年体制の崩壊にあったのである。
今日迄の日本の政治システムの変化はその殆どを小沢一郎の影響を直、間接的に受けて来たのである。
その際たる事象は小泉純一郎の郵政民営化政策一本でポピュリズム政治を具現化することによって多くの国民を衆愚化させた事である。その世情の勢いを民主党は更に幅広くマニフェスト選挙として衰退政党自由民主党(自業自得)に取って換わり権力を掌中にしたのである。

稚拙なまでの民主党政権は消費税増税法案一本槍で衰退野党自由民主党、公明党との談合、強行と、そしてマニフェスト原理主義者小沢一郎との闘争は、「普通の国」を目指したはずの小沢一郎の20余年の足跡の結果である。
それが大震災・原発事故被災者への冷酷な社会を生み復興への障壁、障碍になっている事を愚衆は識るべきである。
既に日本の政治の危機は崖っ縁に追い込まれているのである。
一層、落下して新たに自力で這い上がる外手段はない。
その為に国会議員定数を大幅に削減させる事。
削減には将来の日本国の為に自ら身を引いて頂くべき人物、筆頭は小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人、谷垣禎一他、その他諸氏、そして新しい保守で将来の日本を再構築すべく内閣が誕生して欲しいものです。
日本国の復興には現役の国会議員のなかで埋没している優秀な女性だけで内閣を! 希待できるはず。
そしてNHKを頭にした左派メディアの輿論誘導体制を国民が統括し影響力を排除し、国民一人ひとりが賢く自立することである。

ここに執行草舟著「生くる」の“日本文化の背骨から”一部抜粋する

一般に文化と称される種々な物事は、私から見れば、どれも文化と呼ぶにはふさわしくない。ただの物、形式としか思えない。・・・どちらかと言うと各民族の歴史の枝葉として、生き残っただけのもののように私には思えた。枝葉が文化としての香りをどことなく感じさせるのはなぜか。それは、枝葉が生まれ出ずる時の精神に文化としての価値があったのではないかと思わざるを得ない。文化と呼ばれるものは、各民族の歴史の初期段階に生じた何らかの精神を孕み、民族の歴史と共に生成発展したものではないかと思うに至って来た。
文化として残っているのかのように思えるもののほとんどは、根源となるべき民族の魂と精神が忘れ去られてしまって、その形式だけが生き残っているのだ。
形式は文化そのものではない。文化ならばもっと深い底流となるべき精神が貫かれているはずだと私は気づいた。各民族の歴史を貫くその精神を私は「文化の背骨」と呼ぶことにした。背骨があって初めて文化は血が通い光り輝く。この民族の精神を具現化するために種々の形式が生じ、現在我々が文化と呼んでいるものになっているのだ。この中心に据わるべき背骨を欠けば、文化は人を歴史から遊離させ柔弱な日和見主義の腑抜け人間を創ってしまう。我々日本人は日本文化の背骨をなくしている精神を知らなければならない。・・・と続く。
示唆に富んだ信念である。
背骨のある文化は日本にしか存在しない! だから考えよ!

(※)
小沢一郎著 日本改造計画 1993.5.20初版 講談社 1500円
・迷惑な「指導力の欠如」
・権力を行使しない危険
・政府は「企業弁護士」か
・首相官邸の機能強化
・官僚が決定権者か
・政党による政策の選挙
・全国を三百の「市」に
・生かされていない官僚の頭脳
・誤解されている「吉田ドクトリン」
・国連待機軍をつくれ
・「世界貿易機構」をつくる
・十万人留学生の受入れ
・個人を大切にする社会
・都市に住宅 地方に雇用
・所得税・住民税を半分に
・自由な人生設計ができない日本人
・高齢者の職場参加を進める
・女性も選択可能な社会
・管理型行政からルール型行政へ
・新・教師聖域論