ときに鋭く世相を斬り、ときに緩やかにあなたを癒す珠玉(?)の時事エッセイ。お仕事中の息抜きなどにお読みいただけたら幸いです。

2018/09/03 第129回  平成最後の(全国戦没者追悼式)日本の容、これで良いのか?!


愈々、平成時代も残り僅か、半歳余となった。
既に新たな元号の時代へ今上天皇の退位、そして皇太子殿下への禅譲ではなく、皇統の歴史に法り男系嫡出子が即位する。
こヽに第126代天皇の誕生、間近に迫っているのである。


小者の持論は生前退位による代替りを認める事は、これを善としない立場だが、現実として冷静に捉えていきたい。


平成の日本は、大東亜戦争敗戦から驚異的復興を為し遂げた後に、代替りした新たな日本の時代になり得る大きな変革期であったのではないかと想い返している。


昭和20年8月15日(1945年)昭和天皇戦争終結を命じられた詔書の芯たるお言葉は、今上天皇の治世の代に受け継がれ実際の行動を以って体現されてこられたと思います。
即ち≪朕ハ堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス≫である。


国内では地上戦が繰り広げられた沖縄をはじめ、原爆投下された広島、長崎、大空襲(無差別爆撃)で10万人余の犠牲者が出た東京の慰霊施設を訪れた。又、国外の太平洋激戦地だった硫黄島やサイパン島、パラオペリリュー島、フィリピン等々、そして大東亜戦争で敵として戦った英国、オランダ、デンマーク等も訪問、日本国を代表して日本人の平和追求する姿勢を示され、世界平和を祈念されたのである。
これら陛下の尊いお気持ちの表われは、国民はよくこれを理解しています。
その御心は、戦禍で起きた事実を直視、更に日常起こり得る自然大災害の被害者に対する御心の示し方は即ち象徴天皇として国民の安寧を祈る御心からの発露以外の何ものでもない。
それだけに、
先帝の詔書の中にある。
≪戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル≫臣民への鎮魂の儀礼の文字通り象徴となるべき靖国神社への御親拝が御即位以来30年、明年2019年8月15日には退位されている今上天皇において実現されていないことは、どの様な理屈をさし置いても、多くの国民にとって解き難い不審のことであろう。


今年の夏も猛暑続くなか黙々と靖国神社本殿に向う多くの戦後生まれの無辜の民。
この光景にどの様な言葉もいらない。
靖国神社が存在する限り、続く鎮魂の祈りであろう。


戦没者中、英霊は240万人と言われ、靖国神社に祀られている。
海外での戦没者が全んどであり、特に太平洋諸島群での未帰還遺骨は100万柱を超える。
日本政府は独立後、遺骨収集行動を始めたが、人、予算を必要以上に充てず、細々と継続していたが、国が主体となる事案を打ち切ってから久しい。今日では民間ボランティアに頼る始末である。


これは敗戦後の日本が、敗戦国として東京裁判史観に呪縛されたまヽ、戦前の日本国を否定するかの流れの中で、何事も処される社会構造となっているからである。
今年、明治維新150年にあたり、それを振り返り、今の日本国の容を再認識する事、
そんな社会の動きは殆んど、ない!ない!


祖国から遠く離れた寂しき地に眠る英霊。一人ひとりの尊い命を失った礎の上に(犠牲と考えると真を見誤る)、この平和で泰平の社会が在ることを忘れぬ為にも戦没者追悼式は永遠に欠かせない。
それが靖国神社で何故悪い!


太平洋激戦地に眠る英霊の遺骨収集は、最早や、日本人だけの手には負えない現実の中で現地の人達に依存する外ないのである。
時の経過(70余年)はかの地を収集困難な環境に変えてしまっている。


最近発表された情報では、現地人の協力の下で収集された遺骨は「日本人のDNAを持つ遺骨はほとんど無い」と研究者の検証報告書に見られるという。
数年もの間、未公開だったことは、官の常奪手段で、ここでもか?
この遺骨収集は現地人の生活の糧となる彼等にとっては、ビジネスとなっている事の証左である。
朝鮮戦争での米兵戦死者の遺骨返還は、非核化に直結しないが、北朝鮮にとっては、ビジネスであり、裏では1柱数万ドルの支払いがあっても不思議ではない。


今夏、全国戦没者追悼式に参列した戦没者関係者は5,456人。
戦没者の妻13人、戦没者の子供52.5%、孫8.4%、ひ孫2.7%で戦後生まれが8割を占めるという。
この現実から何を導き出すことができるのか。
戦争体験を僅かに記憶する年代も既に70代後半に達し、従って年々追悼式参列者の数は減少し、天皇陛下、首相はじめ政府関係者、官僚中心の追悼式に変貌することは眼に見えている。


会場が日本武道館になった経緯は推測する外ないが、追悼式が政府主催の恒例行事で行われるのは1963年からで、その年の会場は日比谷公会堂、翌1964年は靖国神社で行ったのである。
東京五輪1964の施設として日本武道館が落成したのは1964年9月15日、靖国神社追悼式の1ヶ月後であり、1965年から会場を日本武道館に固定化させている。


その理由は未だに小者には理解できない。
かつて、靖国神社・武道館を分ける国道に架かる歩道橋があっても“渡れぬ橋”と表現した。
1965年以降、1975.8月には三木武夫首相の靖国参拝、1985.8月中曽根康弘首相の参拝他、首相、政府高官の靖国参拝は慣習として営々として行われていたのである。その間、靖国参拝が政治問題化することはなかったのである。しかも1978.10月にはA級戦犯の合祀があったにもかヽわらずである。
中国・韓国が靖国参拝を反日の武器として反発する理由は「侵略戦争を正当化するものだ」であり、中曽根康弘首相が再度の靖国参拝を取り止めたのは胡耀邦国家主席の中国国内に於ける危機的立場に情をかけた為である。
その情の甲斐もなく1989.6.21天安門事件が起きたのである。
その事件の悲惨さは地球上を駆け巡ったのである。
そして、国連制裁が課せられ、中国は困窮していくのである。


やがて、1992年10月、宮澤喜一政権は今上天皇陛下の中国訪問を画策したのである。
結果はどうなったのかは日本人なら明確に認識し、日本人とし如何に諸外国から軽んじられているのか識るべきである。
訪中時のお言葉は「両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し多大の苦痛を与えた不幸な時期がありました。これは私の深く悲しみにするところであります」
このお言葉は訪問する側のお言葉としては率直な御心と信じたい。
しかし、今上天皇の訪中は日本の中国制裁を緩和へと導き、世界に浸透して、制裁解除へ向い、中国の復興躍進が始まり、今日の覇権主義へと継るのである。


当時の中国の外務大臣(外交部)錢其?は後の回顧録で「天皇訪中は西側諸国の対中制裁解除の突破口という側面があった」(天皇訪中をその為に利用した)
今上天皇の訪中は日中政府の政治利用であったのである。
当時の首相は故宮澤喜一、そして官房長官河野某は今だに中国では大歓迎される親中親韓派筆頭であり、自省することのない漢奸である。
この二人は現在の日本国を辱める中国、韓国の諸事案慰安婦問題、徴用工問題、竹島・尖閣諸島問題、南京問題等々の直接、間接的因を創った元凶である。


戦没者追悼式ひとつ取り挙げても日本人として明治維新150年を鏡として正視し、これからの日本の容を構築して行かねばならないのである。
その為に歴史、特に自虐的東京裁判史観からの脱却は将来を担う日本人にとって、世界の中で生きる日本人にとって最も重要で避けて通ってはいけない「道」なのである。


その道筋を創りあげる先導役は誰だ!


8月23日、昭和天皇侍従の小林忍氏の日記が公開された。

“昭和天皇は戦争責任で苦悩されていた”

敗戦後からごく一部の者が言及していたことの裏付けであり、特に共産党は今も変わらない。
体調を崩して休養していた志位某共産党委員長は復帰して一番:
「中国侵略でも対米英開戦決定でも・・・侵略戦争拡大の方向で責任的に関与した」
「戦争末期の1945年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた」等昭和天皇を批判した。


今、この時に、昭和天皇の大東亜戦争の責任を堂々と広言する組織(政党)を認める社会構造に、敗戦後の日本再建に誤りがあったことを、われわれは猛省すべきなのである。
世界全図に蔓延った共産主義者の手先になった日本人は日本を戦禍の泥沼にひきずり込み敗戦後追求されず、一部A級戦犯者に責任を被せ、尚、現在もポリティカル・コレクトネス(政治的公平性)を声高に言い募り生き延びている。敗戦後の利得者の一部であり、自由民主主義社会の寄生虫である。
志位委員長!自らの“おじさん”はどんな人だったのですか?
貴殿に昭和天皇を批判する資格などないのです。


日本は大東亜戦争を時空の真中に位置づけ、前後の歴史を正視し、日本民族の矜恃を取り戻さねばなりません。
日本を貶める歴史の捏造事案に反論できる事実を論理的に構築して敵対者に毅然と対峙しなくてはなりません。
それは何も対外国だけに非ずマスメディア、文化人、政治家等内なる敵にもである。


日本人一人ひとりが毎年めぐってくる8月15日という特別の時空に何を想い、何を感じ、何を思考し、明日をどう生きるのかを自問自答する時として共有したいものです。
日本民族は長い長い時をかけ、伝統ある国家を創り上げてきました。その国家は今、崩れようとしていると感じているのは小者だけでしょうか。


長い大平の時代であった徳川時代、建前では鎖国政策を継続しいていたが、世界情勢は弥が上にも流入し、日本の危機を案じる人たちもいた。しかし情報は一部の者のみで塞き止められていて国難を前に、徳川幕府は「事勿れ主義」に陥っており、未来を描けず、倒幕から明治維新へ突入するのである。
明治維新は必然である。
そして、今の日本、ごく一部の人たちを除き、国難の意識なき多くの日本人は「事勿れ主義」に走っていることにも気づいていない。


そんな社会の中で生まれた「一強時代」は必然的現象であり、そのリーダーは、こヽで日本の国難を乗り切るために、責務を果たす強い意思を表わしてほしい。


反日の意見を論破し、外国の内政干渉は毅然と撥ね除けよ!
そして、リーダーは天皇陛下と共に、靖国神社へご親拝することである。
これ一点で日本国のこれからが開かれるものと確信する。


尚、小者としては特別の日、8月をテーマに当築城通信では2008年から10年間(第6回、20、33、45、57、69、81、93、105、107回)の記述を再読して頂ければ幸いです。